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都心(Wikipedia)
posted by reent on July 4, 2015
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%AF%E9%83%BD%E5%BF%83

> 東京では都心への業務集中によって「通勤地獄」とまで言われる通勤ラッシュが常態化してしまい、道路も渋滞が深刻化して経済損失が大きくなった。また地震や地盤強度の問題などから超高層ビルを建てづらく、都心部のみで中心業務地を賄えなかったため、東京都内に新たな業務指定地区を設定して「副都心」とした。さらに、バブル経済期には地価が暴騰したため、都内に「副々都心」、周辺県には「新都心」と呼ばれる業務指定地区を設け、中心業務地の分散を図った。
> 新都心
> 副都心以外でも、郊外に新規開発をして都心を形成したところや、都市の中心部を再開発して都心の機能を高めたところを新都心と称することがある。

> 関東地方において単に「都心」と言った場合は東京23区の中心部を示すことが大半であり、マスメディア報道などで横浜市・千葉市・さいたま市・川崎市の中心部のことを「都心(部)」と呼ぶことは皆無に近い[† 1][1]。特に、東京都の都心3区(千代田区・中央区・港区)に、大衆的な認知度の高い新宿区・渋谷区を加えた5区を指して都心と云うケースが多い。また、報道用語としては東京23区のことを「東京都心」と呼ぶこともある。

> 1958年(昭和33年)までは、千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区を『都心6区』と呼んだ。 千代田区、中央区、港区を 『都心3区』[2][3]、さらに、新宿区と渋谷区を含めて『都心5区』[† 2]などと呼ぶケースもある。

> 都心への業務機能の分散の観点から、東京都が策定した副都心は7ヶ所存在する。
> 新宿副都心
> 池袋副都心
> 渋谷副都心
> 上野・浅草副都心
> 錦糸町・亀戸副都心
> 大崎副都心
> 臨海副都心

> 東京近郊の新都心(新副都心)として、以下の3ヶ所がある(北からの順で表記)。
> さいたま新都心(さいたま市)
> 幕張新都心(千葉市)
> 横浜みなとみらい21(横浜市)
よくわかる北朝鮮の歴史(前編) ※歴ログから
posted by reent on June 13, 2015
http://reki.hatenablog.com/entry/2015/06/12/%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%88%E5%89%8D%E7%B7%A8%EF%BC%89

北朝鮮:中国:ソ連 対 韓国:米国:国連?

金日成(キム・イルソン)

李承晩
> 現代の韓国において、李承晩は「建国の父である」という評価と、「民衆を恐怖に追い遣った独裁者である」というものに分かれている。これに共通して、朴正煕の評価も韓国では2つに分かれている。

李承晩ライン
> マッカーサー・ラインの廃止を目前とした1952年(昭和27年)1月18日、これに代わるものとして韓国初代大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づき、韓国政府が一方的に日本海・東シナ海に設定した軍事境界線[2]。韓国では「平和線(평화선)」と宣言された。
> 問題解決への道のり
> 問題解決には長い年月を要した。その原因は、
> 日韓両国に正式な国交がなかった。
> 国交正常化交渉は賠償請求権を巡って紛糾し、遅々として進まなかった。
> アメリカが二国間問題であるとの立場を取り積極的に介入しなかった。
> である。
> 1963年10月15日、李承晩退陣後の政治的混乱を収拾した朴正煕が大統領に就任した。彼は工業化を進めることで国を富ませ、民族の悲願である南北統一を促進することを考えた。そのためには資本と技術を必要と考えた。しかし、大韓帝国時代と同様、朝鮮戦争後の荒廃した韓国には国際的信用力がなかったため資本を集めることが難しく、どこからどう調達するかが悩みの種であった。朴正煕大統領が目をつけたのが日本である。そのために日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)の締結を急いだ。一方、日本国政府も戦後処理の一環として韓国との国交回復は重要な外交テーマであり、李承晩ラインを撤廃させて安全操業の確保実現を求める西日本の漁民からの要望も受けていた。朴正煕政権は、竹島の領有権についての紛争を棚上げにすることで日韓基本条約の締結がなしえると判断したところで、その関係協定の一つである日韓漁業協定を締結した。この日韓漁業協定が締結された1965年6月22日[18]以降、相矛盾する李承晩ラインは自動的に無効・廃止とされた。
マッカーサー・ライン
> 第二次世界大戦後の日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の文書SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって決められた日本漁船の活動可能領域のことである。
> マッカーサーライン廃止過程
> 1951年(昭和26年)
> 7月19日 - 韓国、米国にサンフランシスコ講和条約でのマッカーサーラインの継続を要求。
> 8月10日 - 米国、ラスク書簡にて韓国に回答、サンフランシスコ講和条約発効後はマッカーサーラインは有効で
> はない。
> 9月8日 - サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)署名される(条約発効は1952年4月28日)。
> 1952年(昭和27年)
> 1月18日 - 韓国が海洋主権宣言に基づき一方的に李承晩ラインを設定。
> 4月25日 - マッカーサーライン廃止。

平壌
> 平壌(ピョンヤン)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都、直轄市であり、最大の都市。

スターリン批判
> 1956年、ソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフが発表した報告と、それに基づく政治路線のこと。そこではスターリン執政期における秘密の一部が暴露され、個人崇拝が批判された。
> スターリン批判の影響
> スターリン神話が崩壊したとは言え、ソ連ではその後も秘密警察(KGB)が国民を監視するという恐怖支配の構図はソ連崩壊まで変わらなかった。
> フルシチョフのスターリン批判の直後、ハンガリーで民主化を求める市民革命(ハンガリー動乱)が起きたが、ソ連軍が出動し、最終的に鎮圧された。
> スターリン批判は中国(中華人民共和国)との関係に重大な亀裂を生み出した。フルシチョフのスターリン批判とそれに続く平和共存(デタント)を北京の毛沢東指導部は「修正主義」と批判し、以降中ソ関係は急速に悪化する事となる。代わりに中国は、アメリカとの関係を修復していった。
> 日本において、スターリン批判を重く受け止めたのはトロツキストであった。これを前後して、日本のトロツキストは、新しい前衛党=新左翼の結成に進んだのであった。
> 1997年のモスクワ放送では『10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の87年の間に6200万人が殺害され、内4000万が強制収容所で死んだ。レーニンは、社会主義建設のため国内で400万の命を奪い、スターリンは1260万の命を奪った』と放送した。

なぜ中国はスターリン批判にキレたのですか?
> 毛沢東がスターリンと同じようなことを始めようとしていた矢先にスターリン批判が始まったからです。
> それがソ連のスターリン批判で「スターリンは血に汚れた独裁者だ」ということになり、ポシャる可能性が出てきたのですから、怒らないわけがありません。
> 元々、毛沢東は遵義会議などでソ連の言いなりだった親ソ派を粛清して成り上がった人ですから、ソ連にとっても面白い人物ではありません。
> いわば中ソ対立は必然だったのです。
> この対立の結果、ソ連の支援を完全に失った毛沢東はソ連に対抗するために立てた無茶な経済計画を実践します。
> いわゆる大躍進政策です。
> そして大躍進政策は数千万人の餓死者を生む大失敗に終わり、毛沢東はその責任を問われ一時失脚します。
> だが失脚した毛沢東は共産党政権下で自身を神格化する教育を受けた若者と林彪軍閥の力を借りて復権するための権力闘争を開始します。
> これが3000万以上の犠牲者を出した文化大革命の始まりです。
> 中ソ対立による中国の国際的孤立が数千万の中国人民の命を奪った、ともいえるかもしれません。


延安派
> 第二次世界大戦後の朝鮮半島北部(のちに朝鮮民主主義人民共和国)にあった共産主義者の政治的派閥のひとつ。
> 1950年代半ば、北朝鮮内部の政権抗争において金日成の満州派に敗れて粛清された。
主要なメンバー
うぎゃぁ。。

延安市
> 中華人民共和国陝西省に位置する地級市。中国紅軍が長征を行った際、終着地として到達したのが延安であったことから中国革命の聖地とされる。
ヒューストン
posted by reent on March 16, 2014
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3

> 2,099,451人(2010年国勢調査)の人口を抱えるテキサス州最大、全米第4の都市である[1]。ハリス郡を中心に9郡にまたがるヒューストン都市圏の人口は5,920,416人(2010年国勢調査)にのぼる[1]。市域面積は1,500km²におよび、市郡一体の自治体を除くとオクラホマシティに次ぐ全米第2の広さである。

> ヒューストンの降水量は1年を通じて多く、年間では1,200-1,300mm程度になる。夏季には散発的な雷雨が起こりやすく、ハリケーンや熱帯低気圧の通り道になることもよくある。

> 1960年代、ダウンタウン・ヒューストンの建物はそのほとんどが中層オフィスビルであった。1970年代に入り、ヒューストンがエネルギー産業ブームに沸くようになると、建設ブームが起こり、矢継ぎ早に超高層ビルが建ち始めた。この時期に建てられた超高層ビルの多くは市内で不動産開発会社を営むジェラルド・D・ハインズが手がけたものであった。1982年には、高さ305.4m、75階建てのJPモルガン・チェース・タワーが完成した。JPモルガン・チェース・タワーはテキサス州で最も高いビルで、全米でも11位、全世界でも35位の高さである。翌1983年には高さ302.4m、71階建てのウェルズ・ファーゴ・バンク・プラザが完成した。2006年現在、ダウンタウン・ヒューストンのオフィススペースの総面積は約4,000,000m²に及ぶ[43]。

> ヒューストンはエネルギー産業、こと石油・天然ガス産業では世界的にその名を轟かせている。また生命医学分野や、航空・宇宙開発分野でもよく知られている。全米最大級の貿易港であるヒューストン港の運河、ヒューストン・シップ・チャネルの存在もヒューストンの経済に大きく寄与している。世界中の多くの場所とは違い、エネルギー産業に従事する住民の多いヒューストンでは、原油やガソリンの価格の高騰は経済に好ましい影響を与えるものであると見られている[58]。
> スーパーメジャーと呼ばれる6大石油会社のうち、4社がヒューストンに主要な業務拠点を置いている。

> ヒューストンは全米10大都市圏の中で、雇用増加率では2位、名目雇用増加数では4位である[66]。フォーブス誌による「ビジネスやキャリアアップに良い場所」のランキングでは、ヒューストンはテキサス州内で1位、全米でも3位につけている[67]。ヒューストンにはアメリカ合衆国外の40ヶ国の政府が国際貿易・通商機関を置き、23ヶ国の商業局・貿易協会が現在活動している[3]。また、アメリカ合衆国外10ヶ国の銀行20行がヒューストンに支店もしくは事業所を置き、地域内の外国人コミュニティに財務補助サービスを提供している。

> 国際的にその名を知られているテキサス医療センターはヒューストンにある。テキサス医療センターは世界最大級の医療研究機関の集積地である[68]。テキサス医療センター内の45機関すべてが非営利団体である。これらの機関は治療、予防医学、研究、教育、地域・国家・国際コミュニティの福祉と、医療とその研究に関わるあらゆる側面をカバーしている。センターには著名な病院13院をはじめ、特別機関2機関、医学校2校、看護学校4校、歯学校、公共保健学校、薬学校があり、医療・保健関連のあらゆるキャリア・パスが用意されている。テキサス医療センターはまた、ライフ・フライトと呼ばれる、救急ヘリコプター派遣のシステムが創設された地でもある。複数の機関が連携しての移植手術プログラムも開発されてきた。心臓外科の手術においては、テキサス医療センターは世界で最も術例が多い[69]。

> ヒューストンは工業都市・ビジネス都市としてのイメージの強い都市であるが、文化・芸術面での充実度も高い。ヒューストンには文化・芸術活動を行う団体・施設を200以上有している[98]。ダウンタウンの17ブロックにわたって広がるシアター・ディストリクトには9つの著名な演技芸術団体が本部を置き、6ヶ所のホールが立地している。ダウンタウンにおける劇場の席数では、ヒューストンは全米2位である[99][100][101]。ヒューストンにはオペラ(ヒューストン・グランド・オペラ)、バレエ(ヒューストン・バレエ)、クラシック音楽(ヒューストン交響楽団)、演劇(アレイ・シアター)がすべて揃っている。これら4種の演技芸術をすべて揃えている都市は、全米でもニューヨーク、シカゴ、シアトル、サンフランシスコなど、ごくわずかな大都市に限られている[98][102]。これらに加え、ヒューストンではブロードウェイのミュージカルやコンサートなどのツアー公演も行われる[103]。
んー。

> ダウンタウンの南東約40kmにはNASAのジョンソン宇宙センターが立地している。

> ヒューストンではあらゆるイベントが行われるが、その中でも、最も伝統があり、最も規模が大きいのはダウンタウンの南西約10kmに位置するリライアント・パークを会場として行われるヒューストン家畜ショー・アンド・ロデオである。家畜の品評会としても、ロデオの大会としても世界最大級のこのイベントは毎年2月下旬から3月上旬にかけて20日間以上にわたって執り行われ、会期中には200万人以上の来客が訪れる。普段はヒューストン・テキサンズやNCAAのフットボールの試合が行われるリライアント・スタジアムは、このイベントのときだけはダートが敷かれ、ロデオの会場となる。同イベントではロデオのほか、家畜の品評会、コンサート、パレード、カーニバル、トレイル・ライド、ピッグレース、バーベキュー、ワインの品評会なども行われる。このほかにヒューストンで行われる主なイベントとしては、ヒューストン・プライド・パレード(LGBTのプライド・パレード)[112]、ヒューストン・グリーク・フェスティバル[113]、ヒューストン・アート・カー・パレード、ヒューストン自動車ショー、ヒューストン・インターナショナル・フェスティバル[114]、バイユー・シティ・アート・フェスティバルなどがある。

> ヒューストンはプロスポーツリーグにとっても重要な拠点である。MLBはヒューストン・アストロズ、NFLはヒューストン・テキサンズ、NBAはヒューストン・ロケッツと、ヒューストンには北米4大プロスポーツリーグのうちの3リーグがチームを置いている。

> ヒューストンは人種・民族の多様性に富んだ都市である。ヒューストンで話されている言語の数は90を超える[116]。特にヒスパニック系の住民の割合は高く、総人口の約37%を占め、非ヒスパニック系白人の30.8%を上回る。ヒューストン都市圏全体では、アメリカ合衆国外生まれの住民は約110万人を数え、都市圏人口の2割に達している。その半数近くはメキシコ系で、メキシコ以南を含めた中南米系全体では2/3近くにのぼる。さらに、ベトナム系、インド系、中国系などアジア系も約1/5を占めている[117]。ヒューストンにはダウンタウンのオールド・チャイナタウンのほか、南西部にもニュー・チャイナタウンと呼ばれる、新たに形成されたチャイナタウンがある[118][119]。また、ニュー・チャイナタウンの近くには「リトル・サイゴン」と呼ばれるベトナム人街も形成されている[120]。このように一部の移民は民族性の強い街区を形成し、ヒューストンを世界都市たらしめている。しかしその一方で、ヒューストンに住んでいると推定される不法入国者数は400,000人を数えるなど、移民がらみの問題も抱えている[121]。
世界各国の所得(資産)分布:ジニ係数
posted by reent on December 22, 2013
ジニ係数
> 係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。
> 社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。
> ジニ係数の厳密な定義は、「ローレンツ曲線」の項目を参照の事。
> 調査対象に特定の傾向がある場合は、1に近いからといって必ずしも不平等が悪いことになるとは限らない。
> 例えば、ある高級住宅地に年収10億円の人が99人、年収1兆円の大富豪が1人いるとする。そこでこの高級住宅地に住む100人を対象にジニ係数を計算すると約0.91となり、非常に格差が大きいが、年収10億円でもかなりの高収入であり、この状態が悪いとは一概に言えない。
ローレンツ曲線

国の所得格差順リスト

図録▽所得格差の長期推移及び先進国間国際比較
ここ数十年からの傾向を見ると、先進国について格差が広がっているように見える(一方で、拡大しないようにがんばっているところはあるかもしれないが)。
先進国は今のところ0.4以下に収まっているが、このままだと時間の問題なのかもしれない。
資本主義の宿命に成長前提というところがあるが、これがその結果かもしれない。
グローバリゼーションが必ずしも人々を幸せにするとは限らない。とは薄々みんな感じているところだが、どうなっていくのか。どうすべきなのか。

続き...
世界の平均年齢
posted by reent on October 19, 2013
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/51c3720a9ba301d8aa9b51010e945af6

かなり的確な指摘だと思われる。

続き...
Profile
reent (@reentw)
都内在住エンジニア。
ニュース・お役立ち情報を発信中~

ご連絡はこちらまで。
reentgm@gmail.com

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