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Posts monthly 201506

よくわかる北朝鮮の歴史(前編) ※歴ログから
posted by reent on June 13, 2015
http://reki.hatenablog.com/entry/2015/06/12/%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%88%E5%89%8D%E7%B7%A8%EF%BC%89

北朝鮮:中国:ソ連 対 韓国:米国:国連?

金日成(キム・イルソン)

李承晩
> 現代の韓国において、李承晩は「建国の父である」という評価と、「民衆を恐怖に追い遣った独裁者である」というものに分かれている。これに共通して、朴正煕の評価も韓国では2つに分かれている。

李承晩ライン
> マッカーサー・ラインの廃止を目前とした1952年(昭和27年)1月18日、これに代わるものとして韓国初代大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づき、韓国政府が一方的に日本海・東シナ海に設定した軍事境界線[2]。韓国では「平和線(평화선)」と宣言された。
> 問題解決への道のり
> 問題解決には長い年月を要した。その原因は、
> 日韓両国に正式な国交がなかった。
> 国交正常化交渉は賠償請求権を巡って紛糾し、遅々として進まなかった。
> アメリカが二国間問題であるとの立場を取り積極的に介入しなかった。
> である。
> 1963年10月15日、李承晩退陣後の政治的混乱を収拾した朴正煕が大統領に就任した。彼は工業化を進めることで国を富ませ、民族の悲願である南北統一を促進することを考えた。そのためには資本と技術を必要と考えた。しかし、大韓帝国時代と同様、朝鮮戦争後の荒廃した韓国には国際的信用力がなかったため資本を集めることが難しく、どこからどう調達するかが悩みの種であった。朴正煕大統領が目をつけたのが日本である。そのために日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(日韓基本条約)の締結を急いだ。一方、日本国政府も戦後処理の一環として韓国との国交回復は重要な外交テーマであり、李承晩ラインを撤廃させて安全操業の確保実現を求める西日本の漁民からの要望も受けていた。朴正煕政権は、竹島の領有権についての紛争を棚上げにすることで日韓基本条約の締結がなしえると判断したところで、その関係協定の一つである日韓漁業協定を締結した。この日韓漁業協定が締結された1965年6月22日[18]以降、相矛盾する李承晩ラインは自動的に無効・廃止とされた。
マッカーサー・ライン
> 第二次世界大戦後の日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の文書SCAPIN第1033号「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」によって決められた日本漁船の活動可能領域のことである。
> マッカーサーライン廃止過程
> 1951年(昭和26年)
> 7月19日 - 韓国、米国にサンフランシスコ講和条約でのマッカーサーラインの継続を要求。
> 8月10日 - 米国、ラスク書簡にて韓国に回答、サンフランシスコ講和条約発効後はマッカーサーラインは有効で
> はない。
> 9月8日 - サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)署名される(条約発効は1952年4月28日)。
> 1952年(昭和27年)
> 1月18日 - 韓国が海洋主権宣言に基づき一方的に李承晩ラインを設定。
> 4月25日 - マッカーサーライン廃止。

平壌
> 平壌(ピョンヤン)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都、直轄市であり、最大の都市。

スターリン批判
> 1956年、ソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフが発表した報告と、それに基づく政治路線のこと。そこではスターリン執政期における秘密の一部が暴露され、個人崇拝が批判された。
> スターリン批判の影響
> スターリン神話が崩壊したとは言え、ソ連ではその後も秘密警察(KGB)が国民を監視するという恐怖支配の構図はソ連崩壊まで変わらなかった。
> フルシチョフのスターリン批判の直後、ハンガリーで民主化を求める市民革命(ハンガリー動乱)が起きたが、ソ連軍が出動し、最終的に鎮圧された。
> スターリン批判は中国(中華人民共和国)との関係に重大な亀裂を生み出した。フルシチョフのスターリン批判とそれに続く平和共存(デタント)を北京の毛沢東指導部は「修正主義」と批判し、以降中ソ関係は急速に悪化する事となる。代わりに中国は、アメリカとの関係を修復していった。
> 日本において、スターリン批判を重く受け止めたのはトロツキストであった。これを前後して、日本のトロツキストは、新しい前衛党=新左翼の結成に進んだのであった。
> 1997年のモスクワ放送では『10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の87年の間に6200万人が殺害され、内4000万が強制収容所で死んだ。レーニンは、社会主義建設のため国内で400万の命を奪い、スターリンは1260万の命を奪った』と放送した。

なぜ中国はスターリン批判にキレたのですか?
> 毛沢東がスターリンと同じようなことを始めようとしていた矢先にスターリン批判が始まったからです。
> それがソ連のスターリン批判で「スターリンは血に汚れた独裁者だ」ということになり、ポシャる可能性が出てきたのですから、怒らないわけがありません。
> 元々、毛沢東は遵義会議などでソ連の言いなりだった親ソ派を粛清して成り上がった人ですから、ソ連にとっても面白い人物ではありません。
> いわば中ソ対立は必然だったのです。
> この対立の結果、ソ連の支援を完全に失った毛沢東はソ連に対抗するために立てた無茶な経済計画を実践します。
> いわゆる大躍進政策です。
> そして大躍進政策は数千万人の餓死者を生む大失敗に終わり、毛沢東はその責任を問われ一時失脚します。
> だが失脚した毛沢東は共産党政権下で自身を神格化する教育を受けた若者と林彪軍閥の力を借りて復権するための権力闘争を開始します。
> これが3000万以上の犠牲者を出した文化大革命の始まりです。
> 中ソ対立による中国の国際的孤立が数千万の中国人民の命を奪った、ともいえるかもしれません。


延安派
> 第二次世界大戦後の朝鮮半島北部(のちに朝鮮民主主義人民共和国)にあった共産主義者の政治的派閥のひとつ。
> 1950年代半ば、北朝鮮内部の政権抗争において金日成の満州派に敗れて粛清された。
主要なメンバー
うぎゃぁ。。

延安市
> 中華人民共和国陝西省に位置する地級市。中国紅軍が長征を行った際、終着地として到達したのが延安であったことから中国革命の聖地とされる。
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reent (@reentw)
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